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史料館所蔵の資料が展示されています。
去る6月30日、バーレーンで開催された第42回世界遺産委員会で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されました。
そのため、現在、潜伏キリシタンの歴史が注目を集めています。
そんな中、長崎市の大浦天主堂キリシタン博物館では、企画展「復活の島・五島列島 潜伏キリシタンの信仰と歴史」が開催中です。



(展示風景 写真提供:大浦天主堂キリシタン博物館)

この企画展に、大村市立史料館からは大村藩の禁教政策に関する2点の古文書を出品しています。


(右側の上下2点の古文書が出品資料 写真提供:大浦天主堂キリシタン博物館)

この古文書は、大村藩主の大村家と、藩の家老だった大村彦右衛門家に伝わったもので、大村藩の禁教政策や外国船対応などを物語るものです。
(詳しい内容については展示で御確認を…)
大村藩では、1657年(明暦3年)に、多くの潜伏キリシタンが逮捕・処刑された「郡崩れ」が発生しています。
出品資料以外にも、大村家や大村彦右衛門家の古文書には、純忠以来のキリスト教の影響を払しょくしようとする大村藩の姿を伝えるものが残されています。
これらについては、『新編 大村市史』第3巻近世編など、いくつかの書籍でも触れられていますので、興味がある方はぜひ御一読ください。

さて、この企画展では、1868年に厳しい弾圧を受けた、五島市の久賀島(ひさかじま)の潜伏キリシタンに関する資料が展示されており、報道でも紹介された信仰資料も展示されています。


(写真提供:大浦天主堂キリシタン博物館)

世界文化遺産登録記念・久賀島殉教150周年「復活の島・五島列島 潜伏キリシタンの信仰と歴史」は、大浦天主堂キリシタン博物館(長崎市南山手町5‐3)の旧長崎大司教館2階展示室で9月26日(水)まで開催しています。



| 投稿者 : 山下 和秀 | 01:06 PM | 学芸員のひとりごと |

史料館所蔵資料が展示されています。
4月3日(火)から、佐賀県鹿島市の鹿島市生涯学習センター・エイブルの2階、床の間コーナーで鹿島市明治維新150年記念事業「幕末維新期の鹿島〜明君直彬を支えた人々〜」が開催されました。
この企画展に、大村市立史料館から「松林飯山・高杉晋作他「詩文」張り合わせ」が出品されています。

(中央の掛軸が史料館出品の資料。鹿島市民図書館提供)

この掛軸には、高杉晋作、松本奎堂(けいどう)松林飯山の三人が詠んだ詩、計4点が張ってあります。
松本奎堂は三河国刈谷藩の人で、飯山といっしょに江戸の昌平黌
(しょうへいこう)で学び、後に岡千仞の三人で大坂で私塾「雙松岡塾」を開いて尊王攘夷思想を教えた、飯山の友人でした。
高杉晋作は………、もう説明の必要はありませんね。


続き▽
| 投稿者 : 山下 和秀 | 12:58 PM | 学芸員のひとりごと |

平成29年度 郷土史講演会を開催しました
2月17日(土)、大村市市民交流プラザのホールで平成29年度 郷土史講演会を開催しました。
今年は明治維新150年にちなみ、講演会のテーマは幕末維新とし、この時期の大村藩の動きを再評価してみよう、と企画しました。

講師は萩博物館 特別学芸員の一坂太郎先生
長州の幕末維新に関する研究で、数多くの業績を残している方です。



講演は、「高杉晋作と渡辺昇」と題して、「有志大名」「横議」「横行」「藩是」といったキーワードをもとに、幕末維新での長州藩と大村藩との関係、中でも渡辺昇が果たした役割などをお話いただきました。
特に、渡辺昇が江戸修行時代に経験した「横議」「横行」が、高杉晋作や桂小五郎などとのネットワークを育み、後に大村藩を明治維新での活躍へと導いた、と評価されました。

当日御来場いただいた約130名のお客様は、一坂先生のユーモアを交えたわかりやすいお話に耳を傾けました。



この郷土史講演会は、大村市教育委員会と大村史談会が協力して開催しています。
来年度も多くの皆様に満足いただけるようなテーマを設定していきたいと思います。


| 投稿者 : 山下 和秀 | 12:58 PM | 学芸員のひとりごと |

千々石ミゲル墓所発掘調査パネル展が開催されます
最近、なにかと話題となっていました千々石ミゲル墓所の発掘調査ですが、
驚くことに、墓の中からは、人骨の一部や歯のほか、ガラス製の副葬品が発見されました。
これは、報道などで御存知の方も多いかと思います。
先日、千々石ミゲル墓所発掘調査実行委員会が諫早市で開催したパネル展は、好評を博したようですが、ミゲルと関係の深い大村でも下記のとおり開催することとなりました。

「千々石ミゲル墓所発掘調査パネル展」
場所 大村市 中央公民館(コミュニティセンター)ロビー
期間 平成29年12月9日(土)~12月17日(日) 入場無料
主催 千々石ミゲル墓所発掘調査実行委員会
    大村市教育委員会文化振興課

問い合わせ先 大村市教育委員会文化振興課 
        0957-53-4111(内線369)

今回の調査成果は、非常に重要且つ貴重と言えるものです。少しでも興味がある方は必見です。
今まで関心がなかった方も驚くこと間違いありません。
是非、見学へお越しください。


| 投稿者 : 山下 和秀 | 09:06 AM | 学芸員のひとりごと |

「郷土史クラブの挑戦 2017」開催中!
今年も郷土史クラブの作品が帰ってきました。
早いもので、この企画展も8回目となりました。
今年も13の小・中学校の郷土史クラブの力作が展示されています。

毎年、子どもたちの研究テーマのバラエティーの多さに驚いています。
例えば、西大村中学校は長崎空港について調べてくれました。

長崎空港も開港から40年が過ぎ、大村の大事な歴史の一コマになってるんですね…。

次に、驚きの事実を紹介してくれたのが玖島中学校

なんと、あのヘレン・ケラーが大村に来ていたんですね。私も初めて知りました。

自分たちの学校の謎に迫ったところもあります。
福重小学校は、学校の歴史と校内にある「白馬様(しらうまさま)」の伝説を紹介してくれています。


今年も、大村の偉人や地域の歴史を調べてくれています。
大村中学校は、大村喜前や千葉卜枕、渡辺兄弟、楠本正隆の業績などをわかりやすくまとめてくれています。


放虎原小学校は天正遣欧使節について調べました。四人の肖像画は必見ですよ。


地域の史跡や文化財やを調べてくれたのは大村小学校と鈴田小学校です。
大村小は玖島城や円融寺などについて、鈴田小は地元の人への取材で分かったお墓などを紹介してくれています。
 

私たちが何気にお参りする神社。地域の神社について調べてくれたのが、西大村小学校と竹松小学校です。
 
どちらも、お参りの作法についても紹介していますよ。

長崎街道と言えば、別名「シュガーロード」とも言いますよね。
この砂糖文化と長崎街道、大村の郷土料理との関係を調べてくれたのが旭が丘小学校と富の原小学校です。
 

戦国時代の大村と言えば、キリシタンや大村純忠の歴史ですね。
中央小学校は純忠の居城三城城の城下町について、三城小学校は南蛮屏風に描かれた人物について調べています。
 
今年も工夫をこらした郷土史クラブの作品が展示室を彩っています。
期間は4月9日(日)まで。
ぜひ、多くの皆様にご覧いただきたいと思います。


| 投稿者 : 山下 和秀 | 04:12 PM | 学芸員のひとりごと |

史料館に博物館実習生が来ています
博物館実習とは、学芸員の資格を取るために必要な単位の一つで、博物館などのお仕事を体験しながら、学芸員の仕事を学ぶものです。
今年の史料館は、なぜか実習生の当たり年。昨年8月には4名の実習生が来ました。
そして、現在、5人目の実習生が先週からがんばっています。

今回は、ちょうど展示替え期間だったので、いきなり展示替え作業のお手伝いをしてもらいました。
資料を取扱う際の注意事項を受けて……、
いざ作業開始!!
企画展「郷土史クラブの挑戦 2017」の完成に向けて、展示室と収蔵庫を何度も往復してもらいました。

ちょっと体験ということで、実際に資料を展示してもらいました。
展示してくれてるのは、東京谷中墓地から発見された、楠本正隆の石製の印鑑です。



資料のどの部分を見せたいのか、お客さんにとって見やすいのか、いろいろと考えながら展示してもらってます。
そして完成したのがコチラ↓



大きさの違い、形の違いなどを考えて、配置をアレンジしてもらいました。
この展示は2月28日から開催する「郷土史クラブの挑戦 2017」で見ることができます。



| 投稿者 : 山下 和秀 | 12:22 PM | 学芸員のひとりごと |

郷土史講演会連携展示を開催中
ようやく平成29年の最初の記事をUPしました。
今回は、2月18日(土)に開催する郷土史講演会にあわせたミニコーナーの御紹介です。

来る2月18日(土)、市民交流プラザ「プラザおおむら」で郷土史講演会「禁教時代の大村~郡崩れと潜伏キリシタン~」を開催します。
これに合わせて、史料館第1展示室では「大村のキリスト教禁教と郡崩れ」を開催しています。

展示資料には、明暦3年(1657)の「郡崩れ」を記録した『見聞集』だけでなく、江戸幕府から初代藩主の喜前(よしあき)や3代・純信に対して出された手紙も展示しています。

これは、江戸幕府の重臣、本多正純から喜前に対して出された書状です。

「以上、一書申入候、仍吉利支丹御仕置之儀ニ付而御用之儀御座候条、御暇被仰上、早々此地御越可有之候、右之通最前両度申入候へ共、自然不相届儀も可有之候故、重而如此ニ候、恐々謹言、
卯月十六日  本多上野介正純(花押)
大村丹後守(喜前)殿」

内容を簡単に説明すると、正純は、喜前に「キリシタンへの処置に関して用があるので、急いでこちらに来るように」と伝えています。
この「御用」の具体的な内容は不明ですが、江戸幕府の実力者の正純に呼び出された喜前は、戦々恐々としたのではないでしょうか。

大村純忠によって、全領民がキリシタンになるほど大村領ではキリスト教が広まりましたが、時代が禁教へと変わる中、喜前はいち早くイエズス会と断交しました。
そんな中、大村領内のキリシタンたちも次第に仏教へと改宗、または密かに信仰を続ける「潜伏キリシタン」へと変わっていきました。



| 投稿者 : 山下 和秀 | 08:53 AM | 学芸員のひとりごと |

特別展「Sumitada~戦国・南蛮・キリシタン~」の見どころ③
今回は佐賀の戦国大名・</span>龍造寺隆信(1529~84)について御紹介しましょう。
展示では、佐賀県立博物館から隆信ゆかりの資料を、3点お借りすることができました。

龍造寺氏は鎌倉時代から続く佐賀の領主で、肥前国の守護であった少弐
(しょうに)氏の配下として活動し、室町時代には村中、水ヶ江(みずがえ)の2系統に分かれていました。
隆信はこのうちの水ヶ江龍造寺家の出身で、同家は戦国時代初期に家兼(隆信の曽祖父)が大内氏との戦いで活躍したことで、少弐氏家臣団の有力な領主に成長していました。

 
これは龍造寺隆信の肖像画ですが、無精ひげと眉間に皺を寄せた鋭い目つきが印象的です。
後に、キリスト教の宣教師の記録で
「暴虐」「カエサルのような人物」と評された人となりがうかがえます(ただし、宣教師の人物評は、キリスト教に敵対した人物をかなり厳しく書くのでご注意を)。
『九州治乱記』など軍記物では、隆信は、龍造寺氏の勢力を拡大していく中で、暗殺や謀略を用いたとされています。
この肖像画には、そのような隆信の性格の一端を表現しているようです。


隆信は、主家の少弐氏を完全に滅ぼし、さらには少弐氏に替わって肥前守護となった大友氏と対立と和睦を繰り返しながら、肥前の領主たちを従えていきます。
そして天正6年(1578)、耳川の戦いで大友氏が島津氏に大敗したのをきっかけに、隆信は筑後など周辺諸国へと攻め込み、ついに島津氏や大友氏と並ぶ大名となりました。

しかし、天正12年(1584)、島津氏と手を結んだ有馬氏との沖田畷の戦いで、隆信は島津氏の武将・川上忠堅によって打ち取られ、戦死しました。



これは、隆信が使用したとされる刀で、長崎県ではおそらく初公開になります。
最近、佐賀県立博物館に寄贈されたもので、沖田畷の戦いで隆信を打ち取った、川上忠堅の子孫の方の家に伝わったものだそうです。
以前にご紹介した「雷切丸」と比べ、太くがっしりしたつくりになっています。

そして、隆信が着用していたとされる兜もお借りしました。


鉄錆地紺糸威桶側二枚胴具足(てつさびじこんいとおどしおけがわにまいどうぐそく)と呼ばれるもので、佐賀県指定重要文化財になっています。
兜の正面に注目。何やら丸い凹みがありますね。


これは鉄砲の玉が当たった痕です。おそらく兜の強度を試しためのものと思いますが、もしかしたら戦場で当たったものかも…。

龍造寺氏を相続後、九州を三分するまでに成長させた隆信。
戦場に散ったその生涯を、これらの展示資料から知っていただけたらと思います。



| 投稿者 : 山下 和秀 | 08:53 AM | 学芸員のひとりごと |

特別展「Sumitada~戦国・南蛮・キリシタン~」の見どころ②
今回も特別展「Sumitada~戦国・南蛮・キリシタン~」のご紹介です。
今回は大友氏の名将・立花道雪(戸次鑑連)についてです。

この立花道雪、戦国時代が好きな人には有名人と思います。
なんせ、某歴史シミュレーションゲームで道雪を配下にすると、かなり九州征服がやりやすくなりますからね。私も大変お世話になりました。
さて、道雪の本名は戸次鑑連(べっきあきつら)といい、道雪は法名、立花の名字は筑前の立花家の名跡を継いだためです(実際は、戸次姓のままだったようです)。
大友家の「三老」の一人として、数多くの戦いに参加し、ほぼ負けなしという人物でした。

その道雪が所有したという刀(脇差)を、柳川市の立花家史料館からお借りしました。
その名も「雷切丸(らいきりまる)」です。
細身で、中ほどから大きく反った刀身が特徴的です。


この「雷切丸」、もとは「千鳥」という名前でしたが、ある出来事によってこう呼ばれるようになりました。
ご存知の方も多いかとは思いますが、まだ知らないという方は史料館に答えがありますよ。


ところで、この道雪と肥前国との接点は何かといいますと、それは道雪が肥前の領主たちの「取次(とりつぎ)」役を務めたことです。
取次とは、領主たちが外交を行う時の仲介役ことで、この取次を誰にするかで外交の成否が決まるため、取次は大事な存在だったのです。



今回、佐賀県立博物館からお借りした「戸次道雪起請文」(鶴田家文書、佐賀県指定重要文化財)には、道雪が鶴田氏に対して大友家に忠誠を誓うなら必ず自分が宗麟に取り成しますよ、と誓っています。
道雪は取次として、肥前の領主たちと肥前守護大友氏とのパイプになっていたんですね。

また、道雪は大友軍の軍団長でもあったので、肥前の領主たちの戦いもチェックしていました。
展示はしていませんが、筑後の田尻氏という領主に宛てた道雪の手紙には、龍造寺隆信と、純忠や平井氏(須古(今の佐賀県白石町)の領主)との戦いの様子を聞いていたりしています。
急激に勢力を広げる隆信の動きは、常に把握しておくべきことだったのでしょう。
次は、「肥前の熊」龍造寺隆信を御紹介します。




| 投稿者 : 山下 和秀 | 01:38 PM | 学芸員のひとりごと |

特別展「Sumitada~戦国・南蛮・キリシタン~」の見どころ
10月1日(土)に、秋の特別展がオープンしました!

さて、今回の展示テーマは大村純忠です。
彼の生涯を通じて肥前の戦国時代がどんなふうに移っていったのかをお伝えしたいと思い、純忠と関わりのある龍造寺隆信、大友宗麟、立花道雪の3人の戦国武将ゆかり品をお借りしてきました。
今回ご紹介するのは、大友宗麟義鎮(よししげ)です。

大友宗麟については、ご存知の方も多いかと思います。
豊後の戦国大名で、純忠と同じくキリシタン大名として天正少年使節を派遣した3大名の一人です。



これは、武雄市歴史資料館が所蔵する、宗麟が後藤貴明に宛てて出した書状です。
日付の下にばっちり「宗麟」と署名しています。


(二行目の7文字目から有馬、大村の文字が見えます)

何が書いてあるのかというと、貴明が大村を攻めて勝利したという情報に接した宗麟が、貴明に対して今後も油断しないように、と伝えたものです。
宗麟は、貴明と純忠らの戦いの状況を気にしていたようですね。


続き▽
| 投稿者 : 山下 和秀 | 11:28 AM | 学芸員のひとりごと |
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