倒幕の同盟と大村藩1800年頃から、アメリカやイギリス、ロシアなど諸外国の船が日本の周囲にあらわれるようになり、開国を強く求められ、幕府はついに鎖国をやめます。 |
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しかし、弱くなった幕府では外国に立ち向かえないので、新しい国を作ろうとする大名や武士があらわれ、その中心が薩摩藩や長州藩で、大村藩の渡辺昇たちは、対立していた両藩の同盟に力をつくしました。 |
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戊辰戦争幕府と新政府側との戦いです。大村藩は、最初から薩摩藩などと新政府側として戦い、重要な役割を果たしました。江戸へ進んだ軍と、東北地方へ進んだ軍があり、各地で激しい戦いをしました。 |
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藩がなくなったので、大村の城下町は人口が減ってしまいました。しかし、江戸時代からの教育に力を入れていた伝統から、大村中学校や、師範学校ができ、教育の町としてにぎわいます。また、陸軍や海軍の航空隊、航空廠がおかれると人口も増えました。そして昭和17年に大村市が誕生しました。 |
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