■カレンダー■
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
<<前月 2019年08月 次月>>
■新規ブログ■
■カテゴリー■
■アーカイブ■
■リンク■
■学芸員■
■その他■


郷土史講演会連携展示を開催中
ようやく平成29年の最初の記事をUPしました。
今回は、2月18日(土)に開催する郷土史講演会にあわせたミニコーナーの御紹介です。

来る2月18日(土)、市民交流プラザ「プラザおおむら」で郷土史講演会「禁教時代の大村~郡崩れと潜伏キリシタン~」を開催します。
これに合わせて、史料館第1展示室では「大村のキリスト教禁教と郡崩れ」を開催しています。

展示資料には、明暦3年(1657)の「郡崩れ」を記録した『見聞集』だけでなく、江戸幕府から初代藩主の喜前(よしあき)や3代・純信に対して出された手紙も展示しています。

これは、江戸幕府の重臣、本多正純から喜前に対して出された書状です。

「以上、一書申入候、仍吉利支丹御仕置之儀ニ付而御用之儀御座候条、御暇被仰上、早々此地御越可有之候、右之通最前両度申入候へ共、自然不相届儀も可有之候故、重而如此ニ候、恐々謹言、
卯月十六日  本多上野介正純(花押)
大村丹後守(喜前)殿」

内容を簡単に説明すると、正純は、喜前に「キリシタンへの処置に関して用があるので、急いでこちらに来るように」と伝えています。
この「御用」の具体的な内容は不明ですが、江戸幕府の実力者の正純に呼び出された喜前は、戦々恐々としたのではないでしょうか。

大村純忠によって、全領民がキリシタンになるほど大村領ではキリスト教が広まりましたが、時代が禁教へと変わる中、喜前はいち早くイエズス会と断交しました。
そんな中、大村領内のキリシタンたちも次第に仏教へと改宗、または密かに信仰を続ける「潜伏キリシタン」へと変わっていきました。



| 投稿者 : 山下 和秀 | 08:53 AM | 学芸員のひとりごと |
PAGE TOP ↑