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倒幕の同盟と大村藩

   1800年頃から、アメリカやイギリス、ロシアなど諸外国の船が日本の周囲にあらわれるようになり、開国を強く求められ、幕府はついに鎖国をやめます。

   しかし、弱くなった幕府では外国に立ち向かえないので、新しい国を作ろうとする大名や武士があらわれ、その中心が薩摩藩や長州藩で、大村藩の渡辺昇たちは、対立していた両藩の同盟に力をつくしました。

渡辺清

   三十七士のリーダー。新政府軍の中心として活躍し、江戸城明け渡しの会談にも立ち会っています。

松林飯山

   五教館の先生。三十七士の考え方に大きな影響を与えました。維新目前に暗殺されてしまいます。

坂本龍馬

   薩摩との同盟について、渡辺昇に長州藩の説得を頼みました。

桂小五郎

   長州藩の中心人物。昇に薩摩との同盟を説得されます。

西郷隆盛

   昇と会談したり、倒幕の戦いでは清を参謀と起用しました。


戊辰戦争

   幕府と新政府側との戦いです。大村藩は、最初から薩摩藩などと新政府側として戦い、重要な役割を果たしました。江戸へ進んだ軍と、東北地方へ進んだ軍があり、各地で激しい戦いをしました。

最後の藩主

大村純熈

   大村藩12代藩主、西洋の学問に興味を持ち、藩の改革を行い、倒幕に導きました。

浜田謹吾
少年像

(大村公園)

   角館(秋田県仙北市)で戦死し、手厚くほうむられました。

賞典禄

   明治政府から倒幕の活躍に対して、薩摩・長州・土佐の次に多い3万石のほうびをもらいました。


楠本正隆

(1838~1902)

   三十七士の1人です。大久保利通に認められ、新潟県令となりました。のちに、東京府知事、衆議院議長など政治家として活躍しました。

長与専斎

(1838~1902)

   大村藩の医者、長与俊達の孫です。西洋医学を学び、明治政府で医療制度を整えました。「衛生」という言葉は専斎が考えたものです。

 

 

長岡半太郎

(1865~1950)

   世界的発見をした物理学者です。第1回の文化勲章をもらいました。


   藩がなくなったので、大村の城下町は人口が減ってしまいました。しかし、江戸時代からの教育に力を入れていた伝統から、大村中学校や、師範学校ができ、教育の町としてにぎわいます。また、陸軍や海軍の航空隊、航空廠がおかれると人口も増えました。そして昭和17年に大村市が誕生しました。

師範学校

   大正12年にそれまで長崎にあった師範学校(今の長崎大学教育学部)が今の大村城南高校のところに移転し、付属小学校も作られました。

陸軍歩兵第四十六連隊

   明治30年に陸軍がおかれました。軍の設置は、鉄道の開通やまちづくりに大きな影響を与えました。

大村駅

   明治31年に長崎線が開通し、大村駅と松原駅ができました。写真は、大正7年の大村駅のようすで、今とあまり変わりません。

 

大村中学校

   明治13年に県立として開校しました。いったん廃校となりますが、大村家などの援助で私立として存続し、明治31年からは再び県立となりました。

第二十一海軍航空廠

   大正12年に海軍航空隊が、昭和16年には海軍航空廠(飛行機工場)が設置されました。特に航空廠は、5万人の人が働き、昭和17年に大村市ができるきっかけとなりました。

 
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