大村の歴史情報
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   大村藩では、焼き物生産や捕鯨などの産業が盛んで、これらの産業は、藩の財政を支えました。 また、外国との貿易の窓口だった長崎から、いろいろな情報や最新の技術を取り入れ、教育や医学に力をいれていました。

野岳大堤(野岳湖)

   儀太夫は、捕鯨で得た大きな利益をもとに、たくさんのため池を造りました。その中で最大のものが野岳大堤で、1663年に完成しました。ため池が増えたので、水の少ない山の中でも田んぼができるようになりました。

千葉卜枕と放虎原

   千葉卜枕は、放虎原の開発に力をつくした人です。    それまで、虎がすんでいそうな放虎原を開墾し、ここに新しい町をつりました。

五教館と大村藩の教育

   五教館は藩が作った学校です。そのはじまりは、1670年につくられた「集義館」という学校で、九州で一番古い藩校でした。
   その後「五教館」という名前に変わり、1831年に、今の大村小学校の場所に移っています。今でも、藩主が使った御成門(黒門)が残っています。

長与俊達と天然痘との戦い

   江戸時代には天然痘(てんねんとう)(疱瘡(ほうそう))という恐ろしい病気がはやっていました。大村藩では、この病気が人にうつることから、患者を人里離れた山に送って、ほかの人にうつらないようにして、病気の拡大を防ぎました。このようすを、大村を訪れた小林一茶が「灯ちらちら疱瘡小屋の雪吹哉」という俳句によんでいます。
   藩の医者であった長与俊達は、天然痘の治療を命じられ、古田山(東大村)に治療所を設けて、研究を行いました。
   そのころ、ヨーロッパから、天然痘の予防にきくワクチンが伝わり(現在の予防接種)、俊達もいち早く長崎へ行って勉強し、日本で最初に天然痘の予防に成功した一人となり、多くの人の命を救いました。

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